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人生朝露

人生朝露

湯川秀樹と老子。

荘子です。
荘子です。

長岡半太郎さんと、湯川さんと老荘思想について推敲しようと思うので、今回は作業を。

老子。
まずは、湯川さんの『老子』についての記述です。


湯川秀樹(1907~1981)。
≪『老子』の開巻第一章は、
 「道の道とすべきは常道にあらず。名の名とすべきは常名にあらず」
という文章から始まっている。
 私のような素人には、この文章は次のような意味にとれる。
 「本当の道、つまり自然の理法は、ありきたりの道、常識的な理法ではない。本当の名、あるいは概念は、ありきたりの名、常識的な概念ではない。」
 こんな風に解釈したくなるのは、私が物理学者であるためかも知れない。17世紀にガリレーやニュートンが新しい物理学の「道」を発見するまでは、アリストテレスの物理学が「常道」であった。ニュートン力学が確立され、それが道とすべき道だとわかると、やがてそれは物理学の唯一絶対の道とされるようになった。質点という新しい「名」がやがて「常名」となった。20世紀の物理学は、この常道を越えて新しい道を発見することから始まった。今日では、この新しい道が、すでに特殊相対性理論や量子力学という形で、常道になってしまっているのである。「四次元世界」とか「確率振幅」とかいう奇妙な名も、今日では常道になりすぎているくらいである。もう一度、常道ではない道、常名ではない名を見つけださねばならない。そう思うと二千数百年前の老子の言葉が、非常に新鮮に感じられるのである。
 ところが古来この文章は、実は次のように解釈されてきたのである。
 「道として明示できるような道は絶対不変な道ではない。名として明示できるような名は絶対不変な名ではない。」
 ちょっと考えると、前の解釈と全く逆になっているように見える。よく考えてみると必ずしも矛盾してはいないのだが、やっぱり後の解釈の方が正しいのであろう。科学の発展・変貌を超えて永遠の真理を求める哲学者には、後の解釈が当然のこととして受け入れられるであろう。「老子」が物理学者のために書かれたと考えるのはおかしなことであろう。それなのに私は何故いつまでも、この本にひかれるのであろうか。
 私が「老子」という本の存在を知ったのは、中学時代であった。そのころ、国訳漢文大成や有朋堂の漢文叢書の中に「老子」と「荘子」と「列子」とが一冊に収められて出版されたのを手にしたのが始まりであった。小学校に入る前からずっと続いていた漢籍の素読では、祖父から「論語」その他の儒教の正統派の古典と「史記」その他の古い歴史書を教わった。書物の選択は父の方針に従ってなされたようである。儒教の正統の中でも「中庸」だけは習わなかった。恐らく地学や歴史を得意とした私の父は、抽象的思考が好きではなく、子供のためにも有害無益と判断したのであろう。(『一冊の本-老子-』湯川秀樹著作集6 読書と思索より)≫

・・・何を言っているのかよく分からないでしょうが、関西将棋会館に『老子道徳経』の一節が掲げられていることで、ご推察下さい。

参照:「御上段の間」の掛け軸
http://kifulog.shogi.or.jp/joryuoui/2012/03/post-7334.html

老子。
『有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立不改、周行而不殆、可以為天下母。吾不知其名、字之曰道、強為之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一焉。人法地、地法天、天法道、道法自然。』(『老子道徳経』第二十五章)
→混沌としたものが、天地に先立って生じていた。音もせず、姿もなく、なにものにも頼らず、変わることもなく、全てに行き渡りながらあやうさがない。これを以て天下の母となすべきだ。私はその名を知らないが、これを道(Tao)として、強いて名付けて大としよう。道は大であり、大はどこまでも先へと行き、先へ行って遠ざかり、遠ざかってから再び帰る。このようにして道は大である。天は大であり、地は大であり、王もまた大である。城の中にこの四つの大があり、王はその一つとして存在している。人は地に則り、地は天に則り、天は道に則り、道は自然を則る。

参照:智者老子
http://www.youtube.com/watch?v=KwbbWZftyJ4

荘子がいるらしき場所。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5071

・・・宇宙の縮図としての将棋盤。

湯川秀樹(1907~1981)。
≪そういう学習経歴を持っていた私が、老子や荘子にひかれたのは、当然といえば当然であった。そこには父や祖父が教えたがらなかった本を読むという、ひそかな喜びがあった。そこには人間かくの如く思考し行動すべしという儒教の枠を超えた自由な思想に接した喜びもあった。
 そればかりではなかった。古代の儒家の思想家たちは-「中庸」の著者子思以外は-常に注意を人間社会に向け、それを包む自然をほとんど問題にしなかった。これに対して老子や荘子は、いつも「自然」を思考の中心においた。自然と離れた人間は不幸であり、自然に対抗する人間の力は取るに足りないものと論断した。他人との交渉をすべて煩わしいものと感じていた中学時代の私には、そこにも大きな魅力を感じたのである。
 青年期以後の私は人間無力論、あるいは「人間は自然に一方的に随順すべし」という主張にだんだん強く反発するようになった。自然への積極的な働きかけによって人間が獲得した科学、そしてそれに基づく人間のための自然の創造に、ますます大きな価値を認めるようになった。
 しかし、原子爆弾の出現以来、私の考え方は、もう一度大きく変わらざるを得なくなった。科学文明の中にいる私たちは、もはや「なまのままの自然」に対する無力感を持っていない。そのかわり人間の作り出した「第二の自然」であるところの科学文明に、圧倒されはしないかと心配せざるを得なくなったのである。「天地は不仁、万物を以て芻狗となす」という老子の言葉が-天地を第二の自然もふくめた自然と解釈し、万物の中には人間も含まれているかもしれないと危惧することによって-新しい意味を帯びて私に迫ってくるのである。
 今日も依然として人間の運命、人類の運命は測り知れない。しかし、そうであればこそ、私たち人間の、人間のための努力が一層、有意義となる。そこにこそ、成敗を超えた生きがいがあると思うほかないのである。(一九六四年一月)(同上)≫

老子。
『天地不仁、以萬物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。天地之間、其猶橐籥乎??而不屈、動而愈出。多言數窮、不如守中。』(『老子道徳経』 第五章)
→天地は人間の仁(おもいやり)の感情を持ち合わせてはいない。万物を(祭りで使われる)「犬のわら人形」のように扱う。聖人も人間の仁の感情を持ち合わせてはいない。人々に対して「犬のわら人形」のように扱う。天地の間はふいごのようなものか、中身は空で、その働きが尽きることはなく、ありとあらゆる万物はそこから吹き出す。多弁はついには行き詰まる。ただ中を守るに如くはない。

今日はこの辺で。


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